のぶもん台湾さんぽ

台湾のあちこちに出かけたときの旅日記をつらつらと書いています。マイナーな街の紹介が結構多いです。

台湾の小さな街を歩く33〜夜市以外も魅力ある羅東2・新しい主人を迎えた日本家屋を訪れる

こんにちは、のぶもんです。


夜市以外の羅東の魅力を探す今回のおさんぽ。続いては、この街に残る数少ない日本家屋を訪ねてみたいと思います。


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羅東の林業文化園区から少しずつ南下し、羅東の中心部を歩きます。

 

羅東の街は、歩いてみると少し懐かしい雰囲気が漂います。夜市に行くときはすでに暗くなっているので、街の様子はよく分かりませんでしたが、昼間歩くとのんびりしていて、いい感じです。

 

中正路を歩いていると、こんな古めかしい建物が。

 

こちらは、五福眼科診所。1920年に当地で開設された診療所が戦後、陳五福医師によって眼科に生まれ変わりました。今も現役の医院として活躍しているそうです。


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そして、この日のもう一つの目的地に近づいてきました。この建物は、成功國小旧禮堂。もとは、1943年に建てられた曙光国民学校の講堂でした。

 

今では、宜蘭自造教育示範中心という公共施設として使われています。


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そして、この禮堂の向かいにあるのが、独立系書店の「旅人書店」。今回どうしても来たかったお店です。


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こちらはもともと、1927年に建てられた羅東女子公学校の校長宿舎。戦後は成功國小となったため、今では「成功國小校長宿舎」として知られています。

 

今年初めにカフェとして営業を開始したのですが、あっと言う間に営業を終了。その後、7月になって新たに宜蘭市内に店舗を持つ「旅人書店」がこちらに移転・開業したのだそうです。


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店舗になっているのは、宿舎の一部分。ワンフロアーで思いの外明るくて、広々しています。

 

書籍から雑貨、宜蘭関連のグッズなどがちょっと個性的なラインナップで販売されています。

 

中でも面白いのが、宜蘭の風景を撮った写真集やご当地ビール・お茶。宜蘭のお酒といえばKAVALANが有名ですが、地ビールっぽいものも売っているんですね。

 

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予算の都合で普段は何も買わない僕ですが(笑)、この日は宜蘭で作られたお茶のティーバッグと宜蘭市街のレトロ絵地図を買いました。

 

ティーバッグがバラで売られているのはとても有り難いですね。10袋セットとかを買っても、同じ味なのでそのうち飽きてしまうし、色々楽しめるほうがお試しとしてはいいですね。


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本格的は和室は、地元のサークル活動をするときなどに開放されるそうです。公開用に整理されていないので、多少雑然としていますが、もとの和室が立派なことは分かりますね。


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縁側は少し広め。台湾だと、ときどき幅の広い縁側を見かけるのですが、気候の影響などがあるのでしょうか。


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1年もたたずにオーナーが変わってしまった羅東の校長宿舎。現在、台湾の日本家屋をリノベして活用している施設はどこも、「長期的な安定経営」という大きな壁にぶつかっているように思われます。

 

カフェや食堂がすぐに撤退するケースも少なくなく、しばらくするとまた非公開になってしまう施設も。

 

この問題は、日本家屋のリノベ施設が増えれば増えるほど顕在化していくでしょう。基本は公有地として管理されているので、採算性だけで考える必要もないと思いますが、1軒の日本家屋を修復するのに1億円以上かかるケースが少なくありません。

 

日本人が何かすぐにお役に立てるわけではありませんが、「残してくれてありがとう」の先に少しでも関心を持つことが、まずは大切なのでは?と思いました。

 

そんなことをいろいろ思いつつ、最終的には羅東夜市へ。訪れたのは金曜夜ですが、土曜に負けないくらいの大混雑!人気店は長蛇の列でした。


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でも、今回印象に残ったのは、夜市に向かって歩いた通りのレトロ感でした。急いでいたので写真は撮っていませんが、夜の帳が降りてからの街の雰囲気がなかなか良かったです。

 

次回は、街角の何気ない風景にも注目して、羅東をリサーチしてみたいですね。

 

【店舗情報】

「moku旅人書店」

住所:宜蘭縣羅東鎮文化街55巷265號

営業時間:11:00~18:00(火曜水曜定休)

 

台湾の小さな街を歩く32〜夜市以外も魅力ある羅東1・日本時代の林業の足跡をたどる

こんにちは、のぶもんです。

 

皆さんは羅東に行ったことがありますか?宜蘭縣の比較的大きな町なのですが、台湾東部でもっとも賑わう夜市として有名です。僕も何度も訪れたのですが、羅東で知られているのは夜市ばかり。

 

でも、羅東にも昼の(?)見どころは結構あるんです。今回は、そのような羅東の違う一面を紹介したいと思います。目的地は羅東林業文化園区です。


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日本統治時代、羅東は太平山で産出される木材の集散地として栄えました。羅東から山麓の土場まで30km以上にも及ぶ森林鉄道も開通しました。

 

その始発駅となったのが、竹林駅。そう、現在の林業文化園区が位置するところです。ここに、当時の駅舎、日本家屋、貯木池などを活かした文化スペースが作られたというわけです。


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入口を入ると、いくつもの日本家屋が目に入ってきます。まずは、森産館に入ります。ここでは、羅東の林業の成り立ちなどが学べます。


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館内はとにかく「木」だらけです(笑)。


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木製の森林鉄道模型。木のぬくもりが感じられます。


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森林鉄道の発展・変遷について、詳細な展示が見られます。宜蘭縣の主な見どころは平野部にあるのですが、これを見ると、宜蘭の山岳地帯がいかに山深く、険しいかがよくわかります。


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館内はいくつも部屋があり、こんな風に座って休めるコーナーもあります。


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改めて竹林駅舎をじっくり見てみましょう。文化園区の中に駅舎を移築したのではなく、駅舎がある場所に文化園区を作ってしまったところがすごいですね。


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駅舎内部は昔の日本の面影。今ではきれいに修復されて、まるで現役の駅のよう。


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路線図を眺めるだけでも、ワクワクしてきます。


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駅舎の前には、かつての森林鉄道の客車が保存されています。もちろん、車内に入ることもできますよ。


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とても可愛らしい客車ですが、これは、羅東森林鉄道の軌道が762mmのいわゆるナローゲージだからです。


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車内はこんな感じ。乗り心地はともかく、懐かしさを感じさせる列車で旅をしてみたいですね。


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園区のはずれに、鉄道橋の遺構が残されていました。木造の橋で、まるでおとぎの国への入口のよう。こういうものがきちんと残されているのも嬉しいですね。


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留置されている車両の向こうには、とても広い池が。これはかつての貯木場です。大量の木材がここに貯蔵されていたことが分かりますね。


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これ以外にも、当時の日本家屋を利用した見学スペースがいくつもあります。


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こちらは、子どもたちが思い切り遊べるKIDS館。このときも数家族が訪れて、子どもたちが元気に遊具で遊んでいました。


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さらには、冒険小屋を彷彿とさせるような、読書スペース。森の中で本を読んでいる気分になれますね。


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もちろん、飲食スペースもありますよ。現在、2軒のカフェが入居していて、コーヒーやケーキなどを提供しています。(1軒は義美が入っています)


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久しぶりにモンブランに出会い、すかさず注文してしまいました!


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こんな平和的で楽しい公園ですが、片隅には戦争の記憶を留める遺構も。これは機槍堡(トーチカ)です。

 

太平洋戦争中、台湾全土の主な大都市は空襲の対象になっていましたから、林業の拠点・羅東にもこのようなトーチカが必要だったのでしょう。このような遺構がきちんと保存されているのは、とてもありがたいことですね。


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かつては宜蘭縣の産業を支える一大拠点だった羅東の森林鉄道始発駅も、今では子どもたちが大喜びのレクリエーションエリアとして再出発を図っています。

 

台鉄の駅やバスターミナルからも徒歩で行けるので、夜市を楽しむ前に、かつての森林鉄道の繁栄に思いを馳せながら、のんびりするのも良いと思います。

 

【施設情報】

「羅東林業文化園区」

住所:宜蘭縣羅東鎮中正北路118號

開館時間:9:00~17:00(原則無休)

 

「アクセス」

台鉄羅東駅から徒歩12分

羅東轉運站から徒歩15分

 

淡水日記39〜淡水の丘の上に砲台があった!

こんにちは、のぶもんです。

 

淡水と言えば、川沿いの眺めや夕陽の美しさが有名で、ロマンチックな場所というイメージが強いのですが、実は今から130年以上前、淡水で大きな戦があったんです。

 

それが清仏戦争の有名な戦いである「滬尾の役」です。1884年、フランス軍が淡水沿岸に攻め込みましたが、孫開華率いる清軍はこれを撃退。清仏戦争において清側が唯一勝利した戦いになっています。

 

滬尾とは清代までの淡水の名前。今でも、町中で「滬尾」の名前を見かけることがあります。1884という数字も、淡水の人々にとっては思い入れのある数字なんです。

 

その2年後の1886年に、清朝は淡水の守りを固めるべく、堅牢な砲台を淡水に作ります。これが、今も残る「滬尾砲台」。今回は、この砲台を紹介したいと思います。


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砲台が位置するのは、淡水河から坂道を上がり、遥かに淡水河と観音山を眺められる高台です。


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さあ、チケット購入です。大人一人80元ですが、実は新北市民なら居留証を持った外国人でも入場無料!(ちなみに80元で買ったチケットは、紅毛城と小白宮との共通券です)


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砲台の内部に入るには、このトンネルをくぐらなければなりません。まるで、現在と過去をつなぐタイムトンネルのようですね。


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砲台内部はとても広く、かなり大規模なものだったことがわかります。


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砲台自体は、その後戦争に使われることもなかったため、破壊されることなく後世に残ることとなりました。


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さて、はどうなっているかというと、なんと映像を駆使して、滬尾の役をさまざま角度から説明するビジュアルコーナーになっているんです!


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戦争の概略から、指揮官・孫開華のエピソード、兵器の解説など、非常に細かく丁寧に説明され、滬尾の役を知らない子供や外国人にも分かりやすい仕組みになっています。


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こちらの通路を抜けると・・・


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大砲があった場所に出ることができます。大砲自体は、日本統治時代に撤去されてしまったらしいです。


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その代わり、もっと新しい兵器がところどころに置かれていました。


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最後の空間は、観光案内の駅像と休憩コーナーがありました。丁寧に見て回ると1時間くらいはかかるので、ひと休みできる場所があると助かりますね。


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多くの人がいだく淡水のイメージとは少し異なりますが、大陸からも近く、清代までは海運の要衝だった淡水は、軍事的に狙われる場所でもありました。

 

こういった史跡を見学すると、淡水の人々の「滬尾」や「1884」という言葉に対する思い入れもより理解しやすくなるのではないでしょうか。

 

前回ご紹介した「一滴水紀念館」の隣に位置するので、セットで見に来てもいいですね。

 

喧騒を離れ、淡水の過去と対話したい方は、ぜひこちらへも足を伸ばしてください。

 

【施設情報】

「滬尾砲台」

住所:淡水區中正路一段6巷34號

開館時間:9:30~17:00(土日は~18:00)

 

「アクセス」

MRT淡水駅から紅26番などのバスで滬尾砲台下車(土日は836バスが砲台前まで走ります)

 

淡水日記38〜福井県から淡水に移築された日本家屋を見に行く

こんにちは、のぶもんです。

 

まずは下の写真を見てください。「うーん、これは日本のどこの家かな?」と思いますよね。実はこの建物、台湾の淡水にあるんです!

 

しかも、日本から建物を移築したものとなると、かなり驚きですよね。建物の名前は「一滴水紀念館」と言います。


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横から見るとこんな感じ。かなり大きめのお屋敷であることが分かります。


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では、中に入ってみましょう。玄関も立派ですね。


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この建物は、小説家・水上勉の父・覚治が福井県の若狭地方に建てたお屋敷。外観も素晴らしいですが、よく見ると梁がとても立派です。釘を一本も使わずに建てたそうです。


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中に入ると、正面の座敷がとても美しいです。


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囲炉裏のある板張りの座敷。今の日本でも、大変貴重な空間になっていますね。まるで、白川郷や五箇山にでも行った気分になります。


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縁側も非常に美しいです。惚れ惚れします。


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このように資料的な意味合いが強い古民家建築は、部分的に屋根や梁をガッツリ見せてくれます。今ではもう、こんな立派な梁を持つ屋根を作れないと思います。


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水上覚治に因んで、息子の水上勉の書籍を展示するコーナーがありました。

 

一滴水という名前の由来ですが、もともとは禅宗の「曹源一滴水」という言葉に由来するようで、水上の作品にはたびたび登場します。

 

福井県の若狭には、「若州一滴文庫」という水上が中心となって設立した文化活動施設があるそうです。(これはこれでいつか行ってみたいです)


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面白いのは、台湾をルーツに持つ小説家・陳舜臣の作品コーナーも設置されていること。被災地の神戸にゆかりがあり、水上とも親交の深い陳の作品が、一族のふるさと台湾で展示されるというのも不思議な縁ですね。(なお、陳舜臣は神戸生まれです)


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なぜ、こんな大掛かりな移築プロジェクトが実行されたのか?

 

きっかけは日台両国の大地震被災体験です。(1995年の阪神・淡路大震災、1999年の9.21大地震)

 

1999年の台湾大地震の際、被災した台湾の人々を激励しようと、阪神・淡路大震災で被害を免れた福井県の民家を台湾にプレゼントしようというプロジェクトが生まれたのだそうです。

 

そこから長い年月を経て、2009年に古民家の移築が完成。2011年(この年は東日本大震災が起きた年です)に、一般公開にこぎつけました。

 

館内には、移築に関する資料が展示されていました。


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現地の日本家屋を修復するだけでも大変なのに、日本の現役の古民家を移築しちゃおう!という思い切ったアイデアと、尽力された数多くの方々に敬意を表したいと思います。


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そんなドラマを秘めつつも、観光客の姿はあつもまばら。すぐ近くにある滬尾砲臺とセットで見学しに来る人が時折いるくらいです。正直もったいないです。

 

おかげで(?)静かな気持ちで、本当に福井の片田舎で立派なお屋敷にお邪魔している気分になれますが…。

 

数ある淡水の観光地の中ではかなり知名度が低いのですが、アクセスは意外とよいので、ぜひ砲台とセットで足を運んでください。

 

【施設情報】

「一滴水紀念館」

住所:淡水區中正路一段6巷30號

開館時間:9:00~16:30(月曜定休)

 

アクセス:MRT淡水駅から淡26番バスなどで約15分。滬尾砲臺バス停下車です。

台北郊外・大溪老街の日本語ガイドツアーに参加してみた

こんにちは、のぶもんです。

 

ブログで書きたい内容がたまっていますが、それらを飛ばして(^_^;)今回は、先週の日曜日に参加した「大溪日本語ガイドツアー」の様子をレポートします。

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台湾で定番以外の観光地にも行ってみたいけど、言葉や交通の便が不安で・・・という方にとっては、日本語ガイドのツアーは心強い存在です。

 

ここでのポイントは、ガイドをするのが旅行会社の一般の添乗員ではなく、地元に精通した日本語可能な台湾人というところ。

 

地元の人がガイドをするサービスは台湾にもありますが、ほとんどが中国語オンリーで、一部に英語のツアーもある程度。日本語ガイドツアーがあるのは、一部の博物館などに限られます。

大溪の試みは、「日本語が通じる」と「地元に精通している」という両者を結び付けた点が非常に優れています。

今回参加したのは「大渓日本語ガイド付き文化ふれあいの旅」。

 

桃園市政府が主催したガイドツアー企画で、台北からの往復バスに現地ガイド、さらには軽食プレゼントという盛りだくさんな内容で参加費用が1人300元(約1,100円)。はっきり言って激安です。通常価格は600元ですが、今年中はキャンペーン価格ということで半額になっています。

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午前9時前に台北を出発した一行は、1時間強で大溪に到着しました。バスを降りたら、さっそく街歩きのスタートです。大溪には人気のある老街が2カ所ありますが、はじめにこちらの新南老街(中山老街)を歩きます。

案内してくれるのは、ガイドの邱さん。親しみやすい語り口と聞き取りやすい日本語で丁寧に案内をしてくれます。

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実は大溪の街歩き自体は、それほど難しくありません。なので、観光局のホームページで勉強して街を歩けば、メジャーな見どころは自力でも歩けます。

でも、邱さんの案内は、ホームページにも載せきれない最新の情報や、ちょっとした面白いエピソードがふんだんに入っていて、大溪に来たことがある人でもとても勉強になります。

こちらの狭い空き地の土地価格が1,000万元(約3,700万円)、といった話はガイドさんに教えてもらって初めて知ります。

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これから修復・整備が行われる建物についての説明は、ガイドさんの説明が頼りです。(こういう「これから」の情報は、ホームページになかなか載らない)

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その一方で、大溪の見どころは案外多く、一つ一つの施設ですべてを細かく説明していると、1日あっても時間が足りなくなります。

 

こちらは武徳殿ですが、館内は大溪の交通・物流・旅行等の展示があるのですが、内容が豊富で個人的にはどれも詳しく説明しないものばかり。でも、邱さんは、概略だけをうまく拾って比較的短時間で案内をしていました。

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こちらは、二棟続きの日本家屋。警察宿舎の独身寮だったそうです。ちなみに、向かいにある四棟続きの長屋は、家族用とのこと。こういうこぼれ話は、ガイドさんならではですね。


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こちらは、木生活館。日本統治時代に建てられた公民館を戦後、国民党政府が蒋公紀念館として使われていたものです。

 

前回個人で大溪を訪れたとき、ここは見落としていたのですが、入ってみると木工体験コーナーやカフェがあり、家族連れやカップルでも楽しめる施設になっていました。

 

ここで知った豆知識は、この手の古い建物でよく見られる水色の塗装は、蒋介石の好みだったそうです。こういう話も、外国人にとっては興味深いですね。


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中正公園は、もともと大溪神社だった場所。神殿などは撤去されてしまいましたが、当時の石碑や狛犬の像などは現存していました。


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こちらは大きなコマです。大溪はかつて、周辺の山間部からの木材が集まる場所でした。そのため、木工製品の製造がとても盛ん。

 

こういうちょっとしたポイントも手早く案内してくれました。


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一通り見学が終わったら、お昼の休憩タイム。ここで豆花と豆干が出されました。ちょうどお昼時に差し掛かっており、お腹が空いてきた頃。

 

ここから2時間弱の休憩。この休憩のタイミングも良かったですね。というのも、老街を一通り歩き、少し地理感覚を掴んだところで休憩入り。だから初めて来た人でも、休憩時間に老街の散歩や買い物・飲食などがしやすくなっています。


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3時に再集合して、午後だけ開いている施設を見学します。まずは町おこしでも大いに奮闘している蘭室へ。100年以上前の建物が蘇り、文化活動のオフィスや茶藝館、ショップなどになっています。


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向かいの建物も日本統治時代のもの。こちらは、「新南12文創實驗商行」という名前になり、ショップ兼書店やカフェ、民宿まで備えた面白いお店です。


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こんな感じで、あっという間に帰路につく時間となりました。

 

今回のツアー参加を通じて、桃園市政府および地元・大溪の皆さんの熱意を非常に感じました。

 

今年はコロナの影響で、日本からの観光客を呼び込むことはできませんが、この企画は、これから大溪を訪れたいと考えている日本人にとってはとても便利なツアーだと思いました。ぜひ、来年以降も実施してほしいです。

 

ところで、ツアーの休憩時間ですが、僕は以前訪れたカフェ「老成利商號」で、大変に珍しい「拉拉山」のコーヒーを頂きました」。


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いかがでしたか。これなら、中国語が話せない日本人でも安心して参加できますね。

 

台湾を訪れる日本人のほとんどが定番の観光だけ訪れて日本へ帰ってしまいます。でも台湾には、日本人にとって興味深いスポットが山のようにあります。

 

こういった場所へも日本人観光客を誘致できれば、リピーター獲得策としても有効ですよね。

 

今年のツアーは今週末(10/11)で終わりますが、来年以降もぜひ実施してほしいと思います。

 

「大溪への公共交通アクセス」

現在一番便利な行き方は、MRT板南線で永寧まで行き、そこから710番のバスで一気に大溪まで来るルートです。この他にも、台鉄桃園・中壢からもバスが多発しています。

今年は台北市制100周年~西門で記念展示会が開かれていました!

こんにちは、のぶもんです。

台北は、日本統治時代の1920年に市制が施行されました。

今年は、市制100年ということで、実は台北市内でさまざまなイベントが開催されている(らしいです)。ところが、イベントの多くがあまり話題になっていません。(あ、情報通の台北市民はよく知っているみたいです…)

コロナの影響で外国人を積極的に呼べなくなるなど、出ばなをくじかれるような状況だったのかもしれませんが、今回紹介するイベントも、台湾在住の作家・片倉佳史さんに教えていただくまでは全く知りませんでした。

その展示会が、「世紀旅程」です。これは、台北市100年の歴史をじっくりたどるという企画。日本統治時代の25年間も含まれていますから、日本人が見ても興味深いものがたくさんありそうです。


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場所は、台北の繁華街・西門。ここに日本統治時代に西本願寺だった場所があるのですが、そこに今でも日本時代の遺構がいくつか復元されています。

 

大通りの中華路からも、この鐘楼が見えますよ。


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お寺の本堂はありませんが、こちらの樹心会館は復元されました。ここが、今回の企画展の会場になります。


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日本統治時代に布教所として使われていた建物だけあって、正面からみた姿も立派ですね。


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館内では様々な展示が見られます。写真も多く飾られていて、各時代の様子を詳しく見ることができます。


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凝ったつくりの展示も多く、展示品のデザインも楽しむことができますね。


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写真や記事だけでなく、昔懐かしい空間を復元したコーナーもあります。日本で言えば、昭和にタイムトリップした感じでしょうか。


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昔の品々も展示されていました。こういうのって、どこから集めてくるのでしょうか?
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こちらは、ただの壁画のように見えますが、実はアニメーションになっていて、日本統治時代の人々の様子が次々と描き出されるんです。


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中央ホールのアーチ型の展示も面白いですね。


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壁面には、各時代の説明がたくさん書かれていました。僕がまだあまり知らなかった出来事も展示されていて、とても勉強になりました。


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台湾って、鉄道好きが多いんでしょうか?かつて地上を走っていた台鉄淡水線の様子も展示されていました。

 

どの駅も日本のローカル線のようにのんびりしていて、思わず「こんな駅に降りたい」と思ってしまいました。


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全般的に、日本統治時代と戦後すぐの展示が充実していたように思います。たとえ複製品でも、いろいろな資料が一堂に会すると、まとめて勉強できていいですね。


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鉄道模型の展示もありましたよ。子どもたちは大喜びですね。


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かなり小規模な展示ですが、ビジュアルの技術も駆使して、視覚的にも楽しめる展示が多かったように思います。

 

今年見に来てください、と言えないのが辛いですが、在台の日本人の方にはぜひ一度ご覧いただきたいと思います。

 

★このイベントは10月31日まで開催される予定です。これからの来館も可能ですよ😊

 

【イベント案内】

「世紀旅程〜臺北設市百年紀念特展」

会場:西本願寺樹心會館

住所:台北市萬華區中華路一段174號

開館時間:10:00~17:00(月曜休み)

 

台湾の空軍三重一村さんぽ〜眷村は今やインスタ映えスポット??

こんにちは、のぶもんです。

予想以上に面白い空軍三重一村。さらに探索を続けましょう。


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次に入るのは、14號住宅の「一村故事館」です。


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こちらも軍の職位がかなり高い方のお宅だったようです。


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中は、僅かな家具等を展示しているだけですが、一般の台湾の長屋に比べるとかなり快適そうな感じですね。


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こちらでは、室内に眷村や三重に関する展示がたくさんあります。

 

まずは、かつての三重の絵地図。淡水河が大きく曲がって北に向かう場所に眷村が、作られたことが分かります。眷村ができてからも何度も大きな台風に襲われ、そのたびにこの地区は浸水被害に見舞われたそうです。


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こちらは、布袋劇の舞台でしょうか。台湾の一般民衆の娯楽としては、もっとも人気があった布袋劇。セリフは基本的に台湾語なので、あまりの人気ぶりに国民党政府が規制したことがあるほど。

 

舞台の脇に「反共抗戦」「殺朱抜毛」と言ったスローガンが見られるのは、眷村だったことも影響しているかもしれません。


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台所も、どちらかというと現代の洋風キッチンに近いですね。それでも、心なしかレトロな雰囲気も保っています。


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別の部屋に入ると、香水の歴史が展示されています。実は三重は、戦前からジャスミンや柑橘類の集散地だったことから、香水の会社がたくさんあるのだそうです。

 

これはかなり意外でした。三重の長い歴史の中に香水が絡んでいるとは思いませんでした。


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更に戦後は、レコード盤を制作する工場が、三重にたくさんできたそうです。ひたすら町工場が連なる、というイメージを三重に持っていましたが、この街のオリジナルの持ち味があるんですね。


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こちらは憲兵学校の様子です。実は三重一村の隣に小学校があるのですが、そこは昔、憲兵学校だったそうです。


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次は、18號住宅に入ります。


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こちらも、比較的垢抜けた感じの明るい室内ですね。


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このように現在公開されている建物は、眷村の中でもグレートが高いものばかり。一般の下級軍人の住宅はほとんど公開されていません。

 

というのも、三重一村ではまだ、ここに住んでいる家庭がかなりあるんです。彼らが今もここに暮らしながら、眷村を守っているようです。

 

この辺りの機微については、さらに勉強していきたいと思います。

 

こちらは20號住宅。やはり、比較的立派な住宅なのですが・・・


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なんと玄関前に巨大なギターが!


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こちらでは、台湾でかつて大流行した「校園民歌」と言われる台湾ポップスの展示が見られます。

 

実は僕、この展示を見るまで、校園民歌というものを知りませんでした。

 

校園民歌とは、1970年代に流行した台湾の音楽で、大学のキャンパスなどで一時期盛んに歌われていたようです。

 

眷村と深い関係があるようには見えませんが、眷村で育った若者たちの中にも、校園民歌を歌った人たちは多いかもしれませんね。


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さらに奥の建物・20號休憩小屋に移動します。


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こちらは歴史的な展示はなく、廃墟感を活かした撮影スポット兼休憩所になっています。


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どういうわけか、館内はとてもおしゃれ。いかにもインスタ映えしそうな空間になっています。


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その証拠に、何組もの女性グループが熱心に写真を取り続けていました。

 

楽しいばかりではなかったはずの眷村の生活。かつてここで暮らしていた人たちが見たら、びっくりしてしまいそうですが、眷村と建物と雰囲気の良い空間づくりは意外と相性がいいですね。

 

実際、日本家屋を維持・修復するよりも費用はかからないでしょうから、これからも眷村を文化スペースとして活用する動きは強まるでしょうね。


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園区の中には、地下の防空施設もあるとのこと。日によっては地下探検ができるそうです。これも一度体験してみたいですね。


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閉館時間が近づいてきたので、最後に大急ぎで自治会の建物を見ました。

 

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かつてここで、どんなことが話し合われたのでしょうね。


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最後はお隣にある光興國小。ここはかつて、憲兵学校があった場所です。今では子どもたちが、楽しそうに学校生活を送っています。


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いかがでしたか。僕自身、まさか三重にこんなに充実した歴史スポットがあるとは知りませんでした。

 

台北の発展・安全を陰で支えてきた三重の街。少しずつ街の表情が見えるようになってきて、三重の街歩きも楽しくなってきました。

 

比較的行きやすい場所なので、みなさんも機会があったら訪れてみてください。

 

【施設情報】

「空軍三重一村」

住所:新北市三重區正義南路86號

開館時間:10:00~18:00(毎月第一月曜定休)