のぶもん台湾さんぽ

台湾のあちこちに出かけたときの旅日記をつらつらと書いています。マイナーな街の紹介が結構多いです。

台湾東海岸を歩く3〜台東県成功(新港)を愛した日本人〜菅宮勝太郎

こんにちは、のぶもんです。

 

1月初頭の花蓮〜台東旅行の振り返りが続きます。

 

長濱の街を離れた僕は、バスで成功の街に移動しました。長濱が「鄉」なのに対して、成功は「鎮」ですから、少し大きな街に来たことになります。

 

成功の観光スポットで、今一番注目されているのが、「菅宮勝太郎旧宅」なんです。


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まずは外観を見てみましょう。2階建ての木造住宅の正面には石造りの太い円柱があり、台湾でよく見られる日本統治時代の木造家屋とは雰囲気がかなり異なります。


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菅宮勝太郎は、茨城県出身の役人で、1922年に新港(現・成功)支廳長として当地に赴任、1932年に政府より他の地域への異動を命じられたのですが、勝太郎はなんと辞職して、新港の街に住み続けたんです!以来、生涯この地を離れることなく、新港の町の発展に尽くしたのだそうです。

 

では、中に入ってみましょう。


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日本統治時代に建てられた職員宿舎は、造りはしっかりしていますが、基本的に簡素な建物。家族で暮らすのに過不足ないくらいの広さ・部屋数のものが多いですね。でも、こちらの邸宅はかなり立派です。まず、2階建てというのが日本統治時代としてはかなり珍しいと思います。2階建ての住宅も見たことがないわけではありませんが、かなりレアです。勝太郎の邸宅が少し豪華版なのは、個人で建てた住宅だからだと思われます。


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住宅の内部はこんな感じで、それぞれの部屋に数々の展示品や掲示物があります。


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2階に上がると、そこにはかなり広い板の間と、開放的なベランダ。日本統治時代は、前の建物がなくて、眼の前の太平洋を一望のもとにできます。一説には、勝太郎の故郷・茨城県神栖市の海岸の眺めを思い起こしていたのでは?とも言われています。


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この立派な部屋に座り、こんな風に海を眺めていたのでしょうか?


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住宅の土間の部分は、小さな書店になっています。僕が訪れたときはお休みだったのですが、邸宅に来たら、こちらも覗いてみると良いと思います。


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花蓮から台東の海岸線ではかなり珍しい、日本統治時代の木造住宅。多くの人々の熱意と努力の結果、りっぱな邸宅が現代に蘇りました。勝太郎や、戦後ずっとこの建物を守ってきた高端立医師に関する展示と充実した「菅宮勝太郎故宅」台北から遠いですが、皆さんにも一度は訪れていただきたいスポットですね。


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【施設情報】
「菅宮勝太郎故宅」
住所:台東縣成功鎮中山東路59號
開館時間:10:00~17:00(日曜は12:00~、水曜定休)