のぶもん台湾さんぽ

台湾のあちこちに出かけたときの旅日記をつらつらと書いています。マイナーな街の紹介が結構多いです。

秘湯旅行~南投縣廬山温泉を探索する

1. 友人に紹介された温泉に何の気なしに行くことにした

 最近、1泊2日の旅行に行くことがしばしばある。土曜日に仕事があるため、週末をまるまる使うことはできないが、土曜の仕事が早く上がれるときは、台湾東部や中南部への旅を画策する。今回は、ずいぶんご無沙汰だった南投縣埔里に行くことにした。

 埔里ではなじみの宿「ゲストハウス・プリ」に泊まった。オーナーの渡部さんは埔里や周辺の見どころや自然にとても詳しく、埔里に来るたびに色々教えてもらっている。その渡部さんおすすめの温泉が「廬山温泉」だという。野趣あふれる温泉という話を聞き、せっかくここまで来たのだから、ゆったり温泉に浸かってくるのも面白かろうということで、ゲストハウスに泊まった翌日は、午前中から温泉に行くことにしたのだ。

廬山温泉で最も有名な吊り橋のたもと。温泉情緒がたっぷり

2. 山深く情緒のある温泉のようだが・・・

 埔里から南投客運のバスで約50分。廬山温泉に到着する。ここまでの道のりは迫力の大パノラマの連続だった。ものすごく深い谷にヘアピンカーブの連続。バスに乗っているだけで崖に吸い込まれそうな気持になってくる。(そう、僕は高所恐怖症なのだ)

 途中の集落で地元の人はみんな降りてしまい、終点の温泉まで乗り通したのは僕一人だった。車で来るのが一般的だろうと思いつつ、日曜午前中のバスが貸し切り状態だったことに少し不安を覚える。

温泉行のマイクロバス。帰りのバスは大きかった

3. レトロな雰囲気の吊り橋発見!しかし・・・

 バス停から温泉街をのんびり歩いていく。うーん、確かに日本の山間部の温泉の景色に似ている気もするのだが、一言で言えば「さびれている・・・」。なんと、営業しているホテルのほうが少ないのだ。営業しているホテルもお客がほとんどいない。フロントマンもどうにも手持ち無沙汰だ。

温泉街のメインストリート。日曜なのに歩く人の姿は少ない

 お昼前の時間帯とあって、食堂も開いてはいるが、暇そうにしている。水着屋が何軒もあるのは、台湾の温泉地の特徴。多くの温泉が水着着用のため、慌てて水着を温泉街で買う需要があるのだろう。

温泉街の食堂。グループで来たほうが色々食べられる

 川のたもとにやってきた。すると、なんとも風情のある吊り橋があるではないか。ここは、廬山温泉の紹介写真でも良く出てくる場所。現地に立つと、なかなか良い雰囲気で、日本時代からの趣が残っているように思えた。

廬山温泉の吊り橋

 吊り橋のたもとには、ひっそりと餅菓子屋が営業していた。ここも有名なお店のようで、看板の謳い文句は「蔣院長説、好吃!好吃!」。なんと、かつて蔣經國が行政院長の時代にここを訪れて、こちらも櫻花麻しょを気に入ったというのだ。今の若者に「蔣院長」と言ってもピンとこない人が多いだろうが、かつては庶民派のイメージで結構人気があった蔣經國のことをよく覚えている年配の人たちにはアピール効果あり?!

吊り橋のたもとにある櫻花麻糬のお店。なかなか良い感じだ

蔣院長とは蔣經國のこと。この人、あちこちのローカル店に出かけている

 それはまあよい。問題はこの吊り橋だ。古い吊り橋なのか、結構揺れる。両脇の柵が思ったより低く、お腹の真ん中がきゅうっと縮む嫌な感じ。僕は高所恐怖症なのだ。激しくビビっているのを周りの人に悟られないようにして、足早に向こう側に渡った(ふう)。

4. 蔣介石も大好きだった秘境温泉は日本時代に起源

 吊り橋を渡っても、まだまだ温泉街が続く。土産物屋のおじさんが小米酒の試飲を勧める。いろいろな味のお酒があり、なかなかおいしい。結構セールスが熱心だが、まだまだ先を急ぐので「帰りに寄るね」と言い残して店を立ち去る。その先には、まだ稼働しているホテルの周囲で桜がたくさん咲いている。ただし、花の色は濃いピンク(といえばいいのかな?)。日本のソメイヨシノの色合いとはかなり違う。

実は2月上旬は、廬山温泉では桜のシーズンだった

 実は、ここに蔣介石が建てた別宅がある。今は廃墟になっているが、日本家屋風の木造建築で案外質素なつくり。餅を気に入った蒋經國だけでなく、蔣介石もこの温泉がお気に入りだったようなのだ。

蔣介石の別宅は意外と質素だった

 廬山温泉は、日本統治時代の1940年ごろから開発が本格化した温泉で、日本が入植する以前から統治に住む原住民・セデック族によって温泉があることが知られていた(当初の名前はマヘボ温泉)。日本時代に「富士温泉」に改名され、日本時代は「明治温泉(現谷關温泉)」「桜温泉(現春陽温泉)」とならぶ台湾中部三名泉と称されたようだ。

 泉質がとてもよく、まだまだ発展の余地はあったのだが、近年の度重なる大水害により、この温泉は廃止され、住民はふもとの安全なエリアに移転することが決まった。やたらと廃墟となったホテルが多いのは、この廃止決定によるものだという。残ったホテルが細々と営業しているが、将来強制的な立ち退きという事態もあり得なくはない。そう、ここはいつ幻になってもおかしくない非常にレアな温泉なのだ。

飲食店や土産物店で今でも営業しているところは少ないようだ

 言われてみると、廬山温泉に来るまでの谷は想像以上に険しく、集中豪雨にでも襲われたら、壊滅的な被害を受ける可能性もあるだろう。僕も、雨が降っていたら、ここまで来なかったと思う。

川沿いのホテル群。よく見ると低い部分が洪水で破壊されたままになっている

5. 山道のどん詰まりにあったものは・・・

 僕もこれまでそれなりに多くの温泉を訪れたが、こんなに廃墟感たっぷりの温泉に来たのは初めてだ。道はさらに奥に続く。少しずつ崖が迫ってきており、人がすれ違うのがやっとという狭さの道を歩き続けて、山肌に張り付くように立つ建物が目に入ってくる。これが、本日の目玉商品である「廬山温泉頭」である。

温泉頭までの山道は結構スリリング

はるか向こうに見えるのが温泉頭

 建物の入口にあるブザーを押すと、温泉のおかみさん?が出迎えた。「足湯だけなら50元、風呂に入るなら250元よ」・・・ネットで上がってくる情報には50元のことしか書かれていない。しかも、どの情報もコロナ前のもので、最近の状況は行ってみなければわからない状態だった。

ここが入口。横の呼び鈴を押して、中に入れてもらう

 あまり快適そうとは言えない雰囲気の温泉だが、一応脱衣所があり、ここで水着に着替えて温泉に浸かることができる。お湯が流れ出てくるところは、緑が買った色に変色しているが、お湯はいたってノーマル。少し大きな風呂は40℃だと言われたが、実際は42℃くらいだと思う。小さいほうの風呂は47℃だそうだ。こちらは熱すぎて結局入れず。台湾人は足湯や食事しかしないらしく、温泉風呂は終始貸し切りだった。現代風のきれいなSPAに比べればかなり見劣りがするが、自由きままな一人旅なら、このくらい野趣あふれるほうがスッキリしていてよい。谷底でもお湯が出てくるようで、若者のグループが河原で気持ちよさそうにお湯に浸かっている。

なかなかワイルドな感じの温泉。台湾人は入ってこない

 小一時間ここでのんびり過ごして、階上の食堂に行ってみる。これがまたうらぶれた感じで、昭和の香りが満載だった。傍らにはお湯が用意され、ここでは温泉卵ができるという。せっかくなので、1個(20元)茹でてもらう。温泉卵なんて、何年ぶりかなあ。15分くらいたってようやくゆで卵の出来上がり。これが意外とうまい。ほかにも料理があったのだが、バスの時間が近づいてきたので、ゆで卵だけで退散した。実はこの食堂では、ハンドドリップコーヒーも飲める。これは帰りがけに気が付いたので、また来る機会があれば、そのときにゆっくり飲んでみよう。

お湯の温度は70℃以上。小さなやかんに卵を入れてゆでる

何の変哲もないゆで卵だが、温泉で茹でたかと思うと一層おいしく感じる

6. お勧めしづらいけど、一度は来てみても良いかも

 廬山温泉は、泉質はとても良いようで、水害の可能性がなければ台湾湯数の人気温泉地になったと思う。現に、大水害の前まではそうだったらしく、何軒もの大きなホテルの廃墟がかつての賑わいを物語っている。現に、雨さえ降らなければ、絶景を楽しみながら温泉を楽しめるなかなか良いスポットなのだ。とはいえ、政府がこの温泉の廃止を正式に決定しており、住民(今、どのくらい残っているのかわからないが)の移住、ホテルのさらなる廃業は避けられないだろう。

 廬山温泉へは埔里からバスが1日に10本以上やってくる。交通アクセスは案外良いのだ。接続が良ければ、台北から高鐵で台中へ、そこから高速バスで埔里へ、さらにバスを乗り換えて温泉まで合計2時間半で来ることができる。万人向けとは言えないが、現地で気象条件の情報収集がしっかりできる人であれば、一度訪れてみても損はないと思う。

 できれば、お土産に蔣經國が気に入ったという「櫻花麻糬」を買って、相当親子をも魅了した当地の魅力に思いを馳せてほしい。