こんにちは、のぶもんです。
皆さんは、先月の16~30日に、3回シリーズで放映された「路〜台湾エキスプレス」をご覧になりましたか?
台湾でもそれなりに話題になりましたが、台湾好きの日本の皆さんの間では、かなり盛り上がったようですね。
かく言う僕も、台湾時間土曜夜9時から食い入るように見ていました。
このドラマについては、すでに多くの方のレビューやコメントが出ていて、賛否両論ともに目立つようです。
たしかに、ドラマの仕上がり自体は今ひとつな感じ。やはり群像劇の長編小説を正味3時間程度で表現するのは難しかったと思います。
では僕自身はこのドラマをどう感じたかというと、実は「良いも悪いも超えて、随所に深く刺さる場面があった」というのが本音なのです。
ドラマを見ていたとき、半分くらいの時間は実際に泣きっぱなしでした(笑)。誰かと一緒に見ていたら、「こいつ、泣いてばっかりじゃん」と思われたことでしょう。
では、どのあたりが感涙ポイントだったのか?
【1】春香が、東京への帰任を命じられたとき、「私は、お世話になった台湾で頑張りたい」と退職を告げたシーン
これは、台湾が好きで台湾に住み着いてしまった人にとっては、たまらないシーンになったでしょう。
日本の方が安定した生活、豊かな生活を送れるとしても、自分は好きな台湾で頑張りたい。台湾といえど、外国人が暮らすのはなかなか大変。そんな僕(ら)にとって、春香は同じ気持ちを抱えた同志のように感じられました。
【2】台湾で病床に倒れた湾生の葉山が、台湾人の親友「中野」に「俺がお前の最後を見届けてやる。ここで死ね。お前が生まれた台湾で」と語るシーン。
これは、「路」屈指の名場面ですが、台湾人と関わったことがある方なら、日本ではストレートすぎて言うのを躊躇いそうな「中野」のセリフが、台湾ではあまり違和感を感じないということです。
この距離感の近さ、義理堅さや友情のあり方の違いは、台湾ではそれほど珍しいことではありません。
【3】高雄の青年・威志が、開通した高鐵の車内で幼馴染(?)の美青にプロポーズするシーン
最近は日本でも、ちょっと変わったプロポーズをする人もいるようですが、記念日やイベントを大切にする台湾では、こういうこだわりプロポーズがあってもおかしくない気がします。
そして、周囲の人がすぐにお祝いモードになって車内が盛り上がる、というのも日本ではちょっとなさそうなシチュエーションです。
この他にも、部分部分でとてもリアルな場面がありました。
【4】春香の同僚が、少ない情報からエリックのメールアドレスを入手する
→台湾の情報通の捜査力はかなりのもの。こんな友達がいてもおかしくありません。
【5】
安西が、林森北路のホステス・ユキ(台湾人)に、ホステスという仕事や台湾人を見下す発言をするシーン
→これらはかなり物議を醸していましたが、制作サイドからしたら、絶対に残したかったシーンだと思います。
ちまたでは日台友好とか日本と台湾は永遠の友達、なんて気軽に言う人もいますが、経済的な優劣、文化面の摩擦等により、台湾人を見下している在台日本人もそれなりにいた(いる)のではないかと思います。
【6】日本統治時代、若き葉山が中野に対して「二等国民」と暴言を吐くシーン
→台湾における日本統治時代をどう評価するかは、とても難しい問題です。最近は、当時の政策をやたら美化して語る人も増えてきました。
ですが、日本人と台湾人が基本的には平等に扱われていなかったのは明白な事実であり、それなりに差別もありました。
いざという時、中野が「二等国民」と口走ってしまったように、台湾人をどこか下に見る人もそれなりにいたことでしょう。
数多くのシーンがカットされた中で、これらのシーンが残されたのは、制作側(NHKと公視)の強い主張を感じました。
かくして、語るべき内容が多すぎて、端的に言えば未消化のまま放映に至った「路」ですが、それでも、両国のドラマ共同制作の第一歩としては、かなり頑張ったのではないかと思います。
僕は日本と台湾が、ベースが何もかも違うふたつの国だと思っています。それなのに、どこか共感し合えるところがあり、親しみや愛着を感じられる。
ドラマ制作においても、日本側と台湾側で様々な衝突があったと聞きます。でも、違うものがぶつかり合って、新しい良いものが作り出されていくとしたら、その先駆けとなる「路」は、貴重な第一歩になったのではないかと思います。
まあ、個人的には「高雄パート」のその後をドラマ化してほしいですけどね(^^)/