こんにちは、のぶもんです。
前回ご紹介した、台湾新文化運動紀念館。ここは日本統治時代に警察署だったのですが、今ではその時代の台湾民主化運動、つまりは日本政府の統治に対する抵抗運動についての資料館に生まれ変わりました。
それでは、民主化運動についてどんなものが展示されているか、じっくりと見ていきましょう。
まずは、台湾文化協会第1回の集合写真です。
台湾文化協会とは、1921年に蒋渭水が提唱して設立された団体で、もともとは文化啓蒙活動の主体でした。しかし同時に、台湾議会設置請願運動のような政治活動にも大きな影響を与えました。
このような当時の風潮・活動が新文化運動と呼ばれるようになりました。
当時、活動の拠点になったのは太平町(現・延平北路)の大安醫院など。この施設があるエリアが、当時の台湾人による政治・文化活動の最先端を行っていたわけですね。
文化協会の概要や、当時の活動について詳細に説明されています。
現代でも通用しそうな、可愛らしい広告。こういった、当時としては最もモダンなサロンなどで、活動家や文士たちが議論を戦わせたのでしょう。
当時の雑誌が展示されていました。機関誌のようなものですね。
でも待ってください。ここはもともと日本が建てた警察ですよ。
実は、この紀念館の前身である旧台北北警察署では、多数の活動家が拘留されていたという、因縁めいた浅からぬ関係がある訳です。
こちらの写真は、「治安警察法違反事件の第二審公判記念(!)」と「出獄記念(!!)」として撮られたもの。
弾圧を加えられる側のプライドと気合を感じさせる写真ですね。
こちらは、運動のリーダーの一人・蒋渭水の拘留に関する展示。皇太子(後の昭和天皇)に台湾人の議会開設に関する請願をしようとしたことで捕らえられたんですね。
彼らも、まさか自分たちに関する資料が、敵方(拘留先)の施設で展示されるようになるとは、夢にも思っていなかったでしょうね。
こちらの紀念館の見どころの一つが、警察署の拘留部門。これがリアルで、昼間でも少し怖いくらい。
興味深い資料がたくさんあるのですが、こたらは洗面所。円形になっているのは、左上の高みから一人の看守が多数の囚人を監視するための工夫だそうです。
皮肉なことに、現代から見てもかなり衛生的な感じがします。
少し分かりにくいですが、これは水牢。かがまないと入れないくらいの低く狭い空間に水がどんどん入れられ、首まで水に浸かったら、姿勢を保つのがとてもつらそうです。
蒋渭水が獄中で読んでいたとされる、安部磯雄の「社会問題概論」。意外なところで、我が母校・早稲田大学との繋がりあってびっくりしました。
牢屋のコーナーは、正直言って、そこにいて楽しいものではありませんでした。勉強にはなりましたが、やはりあまりお世話になりたくない場所ですね。
それにしても、権力に抵抗する者たちの足跡を、それを取り締まり、弾圧した組織の本丸で展示する。このふたつを結びつけて、後世の人たちにいろいろ考えてもらおうというアイデアには、正直とても驚き、感心しました。
台湾の人たちの中に、歴史をフラットに、客観的に見つめようというマインドが備わっているのかもしれませんね。
日本統治時代の台湾を考えるとき、日本側の視点だけでは、どこか日本人に心地よい、日本に都合の良いイメージが作られることがあります。
でも、台湾人から見た日本統治時代ってどんな感じだったのだろう?という視点もあってもよいのではないか、とこの記念館の展示を見て改めて考えるようになりました。
決して、偏った考えで作られた施設ではないので、台湾を少し多角的に見つめてみたい人は、お越しになるのをオススメします。
【施設情報】
「臺灣新文化運動紀念館」
住所:台北市大同區寧夏路87號
開館時間:9:30~17:30(月曜定休)