のぶもん台湾さんぽ

台湾のあちこちに出かけたときの旅日記をつらつらと書いています。マイナーな街の紹介が結構多いです。

花蓮へようこそ〜日本の面影を探る旅6

こんにちは、だーしょん(大雄)です。

 

花蓮の旅も終盤戦に入ります。

 

花蓮で日本統治時代の面影を探るとき、欠かせないのが松園別館とここ、将軍府です。
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将軍府は、日本統治時代に建てられた軍人宿舎群。松園別館と並び、旧日本軍とのゆかりが深い建物です。基本的には幹部クラスの宿舎なのですが、その割には質素な印象です。
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こちらは、開放されている建物。ここに来る人はたいてい、この建物の中で一休みすることになります。
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中に入ると、板張りの床になっている点以外は日本時代の雰囲気をよく残しています。この日は雨降りだったこともあり、他のお客さんはいませんでした。

 

家屋の前では、絶え間なく演歌や昭和の歌謡曲が流れています。40代以上の日本人なら誰でも知っている曲ばかり。台湾人には馴染みのない曲が多いかも(^_^;)
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こちらの建物は、倒壊を防ぐため鉄骨の屋根で保護されています。

 

実はこの建物は、昨年の大地震で一部損壊して、一時公開停止となっていました。今回は、すでに修復も終わり、無事に中に入ることができました。
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室内は、様々な資料が展示されています。まずは、1951年の花蓮地震の資料。なんと昨年の地震よりも67年前に、花蓮で大きな地震があったんですね。当時の方が被害範囲が広かったようで、台湾も常に地震への備えを怠ってはならないことを痛感しました。
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もう一つ気になる展示が。

 

こちらには、大陳という地名が。これは、浙江省の大陳島に住む約2万人の住民が一斉に台湾に避難してきた事件を指しています。

 

大陳島は、国民党軍の実効支配下にありましたが、人民解放軍の激しい攻撃のもと、国民党軍は撤退を決意。住民ほぼすべてが台湾に移住してきました。その際の主な移住先になったのが、ここ花蓮なんです。今でも、大陳一村、二村という名の眷村が、花蓮空港の近くに残っています。

 

僕も、ここでこの資料に出会わなければ、大陳故事のことは知らずにいたでしょう。歴史が歴史を手繰り寄せてくる感じです。
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将軍府を後にした僕は、再び市街地に戻ります。そしたら、途中でこんな日本家屋にも遭遇!

 

こちらは、旧検察長宿舎と表示されていましたが、公開準備中のようです。こちらも公開のあかつきには、見学しに来たいですね。
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ですが、台北市や新北市のような大規模な都市ならともなく、花蓮市は人口たったの10万人。花蓮縣でも30万人くらいしかいません。予算規模から見ると、日本家屋の修復などの文化事業に充てられる予算も限りがあるでしょう。

 

では、クラウドファンディングで、日本家屋を修復するか?というと、1軒や2軒なら可能かもしれませんが、花蓮縣全体で埋もれた価値ある古建築をすぐにすべて保全するのは難しいでしょう。

 

むしろ、少ない予算で頑張って継続的に保全・修復事業を地道に続けていてくれているように思います。

 

そんな複雑な気持ちになりながら、いったんホテルに戻り一休みしました。