小金門は、一見のどかな島ですが、これが金門島以上に軍事関連遺跡が目立ち、非常に複雑な気持ちにさせられます。
電動車は島をゆっくり巡っていきます。そして、時々見かけるのがこんなオブジェ。戦乱時はともかく、平時は島の誇りであるかのように鎮座しています。
そしてまず訪れたのが、地雷展示館。直球な名前ですね。
中に入ると、とにかくトンネルが続きます。
地雷探知機の展示。ということは、小金門にもたくさんの地雷があったということですよね。さすがにこわい。。。
鐵漢とは、鉄のように強い男、という意味。屈強な男子たちが兵役につき、台湾を守っていたという誇りと自信が感じられます。
金門島をめぐる争いが激しかった頃は地雷も大量に使用されたでしょうから、展示館があってもおかしくないのですが、それにしても、一つ一つのテーマに沿って、非常に丁寧かつリアルに展示を行っているのには驚きです。
もちろん、基本的には自画自賛なのですが、展示内容が豊富なので、当時の様子がかなり正確に分かるのは勉強になります。
そして次に訪れたのが、湖井頭戦史館。ここも、かつての激戦地だったところです。八二三砲弾戦の資料が多数残っています。
展示がいちいち怖いです(^_^;)
館内に設置された公衆電話。かつては、ここから肉親や恋人に声を伝えていたのでしょう。金門島にもともとゆかりがない兵士にとって、ここは最果ての地。望郷の念はたいへん強かったに違いありません。
監視窓からは、すぐ目の前に厦門市が見えます。平時だからのんきに見物できますが、当時は24時間緊張が続いていたでしょう。当時の空気をそのまま感じるのは難しいので想像するしかありませんが、小さな島が背負うにはあまりにも重いものがあったと思います。
しかし、そんな厳しい状況でも人々はしたたかに生きていきます。その好例がこちら。
(芋頭冰)タロイモアイスや高梁酒が名物なのは分かるとして、包丁??よく見ると「砲鋼刀」そう、あの膨大な砲弾を材料にして、包丁などを作っているんです!!なんという究極のリサイクル!
なんか無骨で、ザクザク切れそう(^_^;)
産業が少ない離島のレアな特産物。未だに新しい包丁が生産されているということは、まだまだ砲弾のストック?があるのでしょうか??
最後は、沙溪堡まで行きました。ここは、小金門の最西端。そして、対岸の厦門までは5~6kmくらいです。
今の厦門の人々は、金門を眺めたとき、何を思うのでしょうか?
ここでもいろいろな感慨を抱きつつ、帰路に向かいます。最後は八逹樓子。ここは、1934年の抗日闘争の際、七人の勇猛な兵士が命をかけて街を守ったことにちなむ塔だそうです。
めっちゃリアルで、確かにカッコいいです。金門島は国共対立の舞台だけではなかったのですね。
景色はずっとのんびりしているのですが、見どころすべてが重い!でも、そのことを一人でも多くの人に伝えていきたいな。
この時点でようやくお昼。さあ、金門島に戻って、さらに観光を続けましょう。