のぶもん台湾さんぽ

台湾のあちこちに出かけたときの旅日記をつらつらと書いています。マイナーな街の紹介が結構多いです。

5年ぶりのセブでのんびりバス旅~1・セブでバスが増えていた!

こんにちは。のぶもんです。3月14日から18日まで、4年半ぶりにフィリピン・セブに行ってきました!

 

主な目的は、英会話学校「クロスロード」を経営する友人・岡本さん夫妻に会いに行くことや、セブのスラムの子供たちに音楽を教えるNPO団体「セブン・スピリット」にお邪魔することだったのですが、何も予定がない日が1日だけありました。せっかくなので、その日はセブ市内を飛び出して、郊外まで遊びに行ってみることにしました。


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1.ITパークから郊外行きのバスがたくさん走っていた!

フィリピン・セブといえば人口100万にも届く勢いの巨大都市。それなのに、セブには鉄道路線が一本もありません。その代わりに市内を網の目のように結ぶ交通機関が「ジプニー」と呼ばれる乗り合い自動車です。もともとはアメリカ軍払下げのジープを改造して10~20人ほどの乗客を乗せる「ミニバス」として長らく活躍してきました。

燃費は悪そうです(笑)

現在でも、市内の主な公共交通機関はジプニーなのですが、そんなセブでも本物のバスが徐々に増えてきました。以前から、郊外行きのバスはあったのですが、セブ市内の北もしくは南ターミナル発着のものに限られ、利便性はいまいちでした。が、今回セブを訪れてびっくり。セブでもっとも成長してモダンなビル群が見られるITパークから、郊外へのバスがたくさん発着しているんです!

もしかすると、今回の目的地「ダナオ"Danao"」行きもあるかな?と探してみると、ありました!セブ市内は以前から交通渋滞がひどく、バスターミナルまでジプニーでなん十分もかけていくのは面倒だなあと思っていただけに、ホテルからほど近い場所にあるITパークからのバスはかなりの朗報です。

というわけで、早速、ネットでバスの情報を検索~~~ところが、いくら調べても公式サイトみたいなものにたどり着けません。何人かの方のブログ記事を手掛かりに、バスの存在自体は確実と判断。さらに、前夜にITパーク界隈に食事に行ったときに、バスターミナルの様子もチェック。何となく、1時間に1~2本程度はバスがありそうと判断できました。判断、というのは、指定されたバス停のポールもなく、時刻表も路線図もナシ。次から次へとバスが到着して、発車していくだけです。フロントガラスの行き先プレートや、客引きのお兄さんの掛け声を頼りに、目的地へ行くバスをひたすら待ち続けます。

日本や台湾の常識が通じないバスターミナル

そして、見つけました!ダナオ行きのバス。バスはワンマンではなく、車掌役(兼客引き)のお兄ちゃんが集金して、切符を購入するスタイルです。町を出る絶妙なタイミングで集金が来るまで、とりあえず座席に座って、発車を待ちます。

途中からの乗客もいる

さあ、いよいよバスの出発です。(つづく)

台湾東海岸を歩く3〜台東県成功(新港)を愛した日本人〜菅宮勝太郎

こんにちは、のぶもんです。

 

1月初頭の花蓮〜台東旅行の振り返りが続きます。

 

長濱の街を離れた僕は、バスで成功の街に移動しました。長濱が「鄉」なのに対して、成功は「鎮」ですから、少し大きな街に来たことになります。

 

成功の観光スポットで、今一番注目されているのが、「菅宮勝太郎旧宅」なんです。


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まずは外観を見てみましょう。2階建ての木造住宅の正面には石造りの太い円柱があり、台湾でよく見られる日本統治時代の木造家屋とは雰囲気がかなり異なります。


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菅宮勝太郎は、茨城県出身の役人で、1922年に新港(現・成功)支廳長として当地に赴任、1932年に政府より他の地域への異動を命じられたのですが、勝太郎はなんと辞職して、新港の街に住み続けたんです!以来、生涯この地を離れることなく、新港の町の発展に尽くしたのだそうです。

 

では、中に入ってみましょう。


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日本統治時代に建てられた職員宿舎は、造りはしっかりしていますが、基本的に簡素な建物。家族で暮らすのに過不足ないくらいの広さ・部屋数のものが多いですね。でも、こちらの邸宅はかなり立派です。まず、2階建てというのが日本統治時代としてはかなり珍しいと思います。2階建ての住宅も見たことがないわけではありませんが、かなりレアです。勝太郎の邸宅が少し豪華版なのは、個人で建てた住宅だからだと思われます。


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住宅の内部はこんな感じで、それぞれの部屋に数々の展示品や掲示物があります。


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2階に上がると、そこにはかなり広い板の間と、開放的なベランダ。日本統治時代は、前の建物がなくて、眼の前の太平洋を一望のもとにできます。一説には、勝太郎の故郷・茨城県神栖市の海岸の眺めを思い起こしていたのでは?とも言われています。


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この立派な部屋に座り、こんな風に海を眺めていたのでしょうか?


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住宅の土間の部分は、小さな書店になっています。僕が訪れたときはお休みだったのですが、邸宅に来たら、こちらも覗いてみると良いと思います。


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花蓮から台東の海岸線ではかなり珍しい、日本統治時代の木造住宅。多くの人々の熱意と努力の結果、りっぱな邸宅が現代に蘇りました。勝太郎や、戦後ずっとこの建物を守ってきた高端立医師に関する展示と充実した「菅宮勝太郎故宅」台北から遠いですが、皆さんにも一度は訪れていただきたいスポットですね。


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【施設情報】
「菅宮勝太郎故宅」
住所:台東縣成功鎮中山東路59號
開館時間:10:00~17:00(日曜は12:00~、水曜定休)

台湾東海岸を歩く・長濱2~開いているかどうかは運次第?!気まぐれバーとの出会い

こんにちは、のぶもんです。

いきなりハプニングから始まった台湾東海岸旅行。金剛から歩いて20分。ようやく長濱の市街地に到着しました。といっても、とても小さな町で、村といった方が良い感じです。

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まずは、ゲストハウスにチェックイン。こちらの「長濱青旅」は、エアビーのみで予約可能なレア宿。町の中心にある安い宿はここしかないようで、平日でしたが、他の宿泊客もいたようです。この宿は、簡素ながら個室に泊まれて(本当に簡素です)、ドミトリーよりも幾分気楽に過ごせます。(補足:その後、サイトを見ると、なんと館内の塗り替えが行われたようで、部屋も明るい感じになったようです)

【宿泊情報】
「長濱青旅」
住所:台東縣長濱鄕中興路9號
詳細:上記の名前で検索して、LINE、エアビーもしくは電話で予約してください

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街歩きを済ませ、夕食の楽しんだ後は、なんとバーに行きます。このバーが変わっていて、営業日や営業時間が決まっていない店なんです!FBページにも「うちは本当に気まぐれ営業です」と書かれていて、実際行ってみるまで、本当にお店が空いているかわかりませんでした(汗)。

夜8時過ぎ、意を決して静かな田舎道を歩き、一路お店へ向かいます。たどり着いたのがこの店「烤茶地(mi epah)」です。お店は開いていましたよ、ラッキー!

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渋い風情のお店に中に入ると、このお店を営むママさんと、おそらくその旦那さん、そして、台北からやってきた先客の女性二人組がいました。僕は、カウンター席に座り、写真の「小米酒」を注文しました。これ、小米酒のカクテルらしく、なんとお米は自宅裏の田んぼで育てたものだそう。究極の地産地消ですね。飲んでみると、ほんの少しだけ個性を主張する小米酒の味わいがかなり良かったです。ママさんがもう一杯注いでくれたのですが、飲みやすくて何杯でも行ける感じです。

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そのあと、ママさんから、少しだけ飲ませていただいたのがウィスキー。「ほお、いろいろなお酒が飲めるんだなあ」とだけ思っていたら、なんとこのウイスキー。自宅で醸造したのだそうで、まさに、リアル自家製のお酒なんです。こちらのウイスキーがまた個人的には相性がよく、珍しくもっと飲んでみたくなるくらいでした。普段お酒ほとんど飲みませんが、こういうお酒やお店に出会うと、いつもよりお酒のテンションが上がる気がします。

ママさんに「どうして気まぐれ営業なのか?」と聞いたのですが、彼女曰く、「台北などの都会の生活はいつも時間に縛られている。でも、こんなにのんびりした田舎の長濱ではそんな必要はないと思う。だから、お店を続けるためにも、あまり無理せず、気まぐれもあり、という感じでお店をやっているのよ。」

ああ、そうか、いわゆる有名観光地ではない長濱のような田舎の町では、片意地張らずにお店を営むのもありな気がします。地球の果てにあるわけじゃないし、たまたま行った日がお休みなら、また来ればいいよね。そんなおおらかな気分にさせてくれる、素敵なバーでした。

【店舗情報】
「烤茶地(mi epah)」
住所:台東縣長濱鄕中興路2812號
営業時間:不定


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台湾東海岸を行く・長濱編1〜降りるバス停を間違えたら・・・

こんにちは、のぶもんです。

 

皆さんは、台東県の長濱という町をご存知ですか?花蓮と台東の中間辺りにある町なのですが、実は今月(2024年1月)まで、僕自身、この町を訪れたことがありませんでした。

 

というのも、とにかく台北から遠いんです。台北から台鐵の特急で花蓮まで2時間強、そこから海岸線沿いにバスに乗って長濱まで約2時間。4時間以上かけないと行けないんです。花蓮ー台東間の台鐵沿線なら、特急一本で行けることもあって、心理的にはそれほど遠くないのですが、東海岸エリアは敷居が高い感じがしていました。

 

今回、幸運なことに5連休が取れたので、「行くなら今だ!」とばかりに、東海岸行きを決定。初の長濱入りとなった訳です。

花蓮からバスに乗り、約2時間。長濱に着きました!と思ったら、降りたバス停の周辺は民家が非常に少ない・・・。なんと、寝ぼけて手前のバス停で降りてしまったんです。下りた場所は、金剛という小さな集落。長濱の中心からは2km近く離れています。ところが、偶然というのは面白いもので、バス停の目の前には長濱の農會(農協)が運営する「金剛好事館」という施設がありました。


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セブンイレブンと地域の特産物やグッズ(なんと、Tシャツもあった!)を販売するお店が併設されていて、車で長濱を訪れる観光客が利用するようです。


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地ビールも売っていましたよ。


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ここでは、ローゼルのティーバッグやドライローゼルを買ってお土産にしました。

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好事館の隣は、「金剛好便當」という看板が。こちらは、台東にしかないお弁当屋さんのチェーンのようです。金剛の名前は、ここの地名からとったのでしょう。金剛は、東海岸では数少ない米どころ。好事館でも、地元ブランドと思われる「金剛米」が売られていて、弁当屋さんの名前にも採用されたようです。


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まあ、台湾随一の米どころ、「池上」の名前がつくと、お弁当がおいしいように感じるのと同じなのでしょうね。というわけで、おすすめ弁当90元を食べてみました。おかずもおいしいのですが、何といっても、お米がつやつやでコシがあります。日本のお弁当に近い触感で、とても満足できました。


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「金剛好便當」
住所:台東縣長濱鄕58-1號

営業時間:11:00~17:30(無休)


このあと、長濱の市街地に入ります。

ペナンのもう一つの豪邸博物館~ペナン・プラナカン・マンション

こんにちは、のぶもんです。久しぶりの投稿ですが、前回のペナン島・ブルーマンションに続き、今回は、美しい緑色が特徴の「ペナン・プラナカン・マンション」を紹介したいと思います。

「ペナン・プラナカン・マンション」は、19世紀に建てられた、プラナカンの大富豪の邸宅で、福建語では「海記棧(ハイ・キー・チャン)」と読むそうです。邸宅を立てた人物は鄭景貴(チュン・ケン・キー)という実業家。彼が建てた邸宅が、現在では、プラナカン文化の文物を多数展示し、後世に伝える役割を果たしているというわけです。いやあ、こじんまりした市街地の中に、次から次へと大富豪の邸宅が現れるなんて、ジョージタウンはかつての繁栄ぶりに驚かされます。


先日紹介したブルーマンションに対して、こちらの色はグリーン。選んだ色が被らないのも面白いですね。それでは、内部を見学してみましょう。まずは、正面のエントランスから。こちらも豪華な調度品に囲まれ、ぜいたくな雰囲気に包まれる空間になっています。正面の豪華な椅子は座ることができ、記念撮影をする見学客が後を絶ちません。まあ、こんな立派な椅子があったら、とりあえず座ってみたくなるのが人情ですよね。


2階建ての邸宅は階段を上がって二階に進んでも、ひたすら豪華で美しいです。黒光りのする木材がたくさん使われていて、木造建築が大好きな僕としては、温かみが感じられて好印象です。


豪邸の調度品は、個性的なものもあります。たとえば、この椅子。互い違いに座るようになっていて、いったいどういうシチュエーションで使えばいいのか、ちょっと謎です。それとも、当時のお金持ちはこういう洒落が好きだったのでしょうか。


寝室も税を凝らしたものになっています。天蓋付きのベッドは定番だと思いますが、調度品が中華でもなく西洋風とも違う感じで、興味深いです。プラナカンの文化を勉強すると、もっといろいろな意味が見えてくるかもしれませんね。


そして、一番驚いたのが、こちらのクリスタルのコレクション。とにかく部屋中がキラキラしていて、慣れぬ者にはむしろ落ち着かない感じです(笑)。


さて、この博物館では、厨房にあたる部屋の展示も見ることができます。プラナカンの典型的なメニュー?と思われる料理の模型が数多く並べられていて、どんな味がするか、興味がそそられます。ニョニャ料理は、それなりのレストランに行かないとなかなか食べられないので、今回のペナン旅行ではひとまずパス。次回の宿題になっています。


さて、こちらの部屋で、一人のおばあさんが売店のような場所でたたずんでいます。よく見ると、ツバメの巣?みたいな風情のドリンクが売られていて、のども渇いていたし、ネタ的な気分で1本買い求めました。

中国語で話しかけたら、おばあさんが俄然元気を出して、「台湾から来たのか。これは台湾人には大人気だよ。もっと買ってもいいよ」と盛んに勧められました。が、おいしいとは思うものの、そもそもLCCで来たので機内持ち込みもできないし、という理由で、追加のお土産は買わずに部屋を後にしました。


この他にも、見ごたえのある部屋がたくさん。事前勉強なしに行ってしまったので、細かい機微は十分わからないままでしたが、その分、また訪れたいと思わせる魅力がありました。年中暑いペナンですが、内部は風通しも良く、エアコンはほとんど使っていなかったと思います。


いやはや、おみそれしました!こんな豪華絢爛な建物が、ジョージタウンには何軒も残され、それらが大切に保存されて、見学ができるというのが凄いですね。一応一通り見学しましたが、ここは歴史をもう少し学んでから再訪して、細部まで味わい尽くしたいですね。

「ペナン・プラナカン・マンション」
住所:29, Church St, Georgetown, Penang, MY
開館時間:9:30~17:00(無休)

マレーシアの旅~映画のロケ地にもなった「ブルー・マンション」

こんにちは、のぶもんです。

マレーシア・ペナン島のジョージタウンさんぽはまだまだ続きます。前回はコンシー(公司)という華人一族が集う豪華な施設を紹介しましたが、今回は、別の華人の富豪が建てた豪邸を紹介します。それが「Cheong Fatt Tze」です。カタカナ表記が人によってまちまちなので、アルファベットのまま話を進めますね。

”Cheong Fatt Tze”とは、この屋敷の主だった人物で、漢字表記だと「張弼士」と書くのだそう。この人物は、中国広東省生まれの客家人で、1886年にペナンをビジネスの拠点にしたのだそうです。さまざまなビジネスに手を広げ、当代きっての大富豪となりました。なんと、孫文との交流もあったそうですよ。

Cheong Fatt Tze は、ブルーマンションをビジネスの拠点かつ自宅、さらには定番の「祖廟」としても活用したそうです。敷地が広く、屋敷にはたくさんの部屋があったので、いろいろな用途に使うことができたのでしょう。この辺りは、他の名家のコンシー(公司)にかなり似ていますね。

青空に負けない鮮やかな青色

このブルーマンション、実は、取り壊しの危機に瀕したこともあるんです。1916年にCheong Fatt Tze が亡くなった後、屋敷は次第に荒れ果てていきました。そして、彼の最後の息子が亡くなってすぐに、この屋敷は売りに出されることになりました。このことを知り、ブルーマンションを自ら購入して保存に乗り出したのが建築家・ローレンス=ローです。彼の指揮のもと、かなり荒れ果てていたブルーマンションは当時の姿を取り戻すことに成功したんです。

もしローレンスが思い切った行動に出なかったら、この美しい世界遺産を多くの人が見ることができなかったのですね。

中華風の様式と鮮やかな青色がよくマッチする

それでは、内部に入ってみましょう。ちなみに、ブルーマンションの入館料は25リンギット、約750円です。

 

エントランスに入ると、いきなり高い天井と豪華な作りに驚かされます。

エントランスの部屋。風格を感じる

1階の中央には中庭があるのですが、こちらも広々していてゴージャスです。そして、古い階段好きとしては、このようなレトロな階段がたくさんあるので大興奮!

昔の邸宅は階段のフォルムが美しい

この美しい邸宅は、修学旅行生の見学先にもなっています。この日も、中国から学生の団体が訪れて、説明に耳を傾けていました。マレーシアの歴史スポットでは中華系の人々を多く見かけます。マレー系はちょっと少な目かな。中国語を話す人たちにとって、中華系のお屋敷の見学はハードルが低いようですね。

中国の学生たちが見学に来ていた

こちらの部屋は何だと思いますか?実は、バーなんです。ホテル宿泊者専用のバーが備え付けられており、一般の観光客が帰った後のお屋敷で、ゆっくりお酒を楽しめるというわけ。宿泊する機会があったら、ぜひバーにも顔を出してみたいですね。

なんと、館内にホテル宿泊客用のバーがある!

さて、ブルー・マンションは、大富豪の邸宅だけあって、部屋数がとても多いです。これらの部屋を活用して、さまざまな品物を展示しています。たとえば、こちらの部屋は、当時の女性が着用していた洋服を数多く展示。ちょっとゴージャスな装いの洋服が多くて、見ごたえがあります。

優雅で気品のある洋服が多数展示されている

ブルー・マンションは、大きな邸宅の一部を開放して博物館としていますが、残りのエリアはホテルになっており、宿泊者でないと内部には入れません。こちらの中庭も、宿泊客限定。中庭のインディゴブルーまだ見えますが、その奥も見てみたいですね。

パティオの向こう側はホテル宿泊客専用エリア

ブルー・マンションのような邸宅は、映画やドラマのロケ地としても活躍します。ブルー・マンションで言えば、最近アカデミー賞ノミネート作品となった「クレイジー・リッチ!」のロケ地にもなっていました!古くは「インドシナ」でも使用されており、この素晴らしい邸宅は、数多くの映画人をひきつけてやまないのでしょう。

映画「クレイジー・リッチ!」のロケ地にもなった

いやあ、ジョージタウンには、予想を超える素晴らしい邸宅が何軒もあるんですね!ホテルの評判も多いようで、もう少しお金持ちになったら、ブルー・マンションで優雅な一夜を過ごしてみたいものです。

ペナン島漫遊記2~豪華な邸宅だらけのジョージタウン・まずはチェーコンシーへ!

こんにちは、のぶもんです。

 

ペナン島のジョージタウンには19世紀までに、多くの華人が移住してきました。その中には、この地で大きな成功を収めて、巨額な財をなした一族もいました。それらの多くが博物館というか資料館として一般公開され、当時の栄華を垣間見ることができるというわけです。まずは、ジョージタウン観光の中心地であるアルメニアストリートに面した「チェーコンシー」という施設に行ってみようと思います。

1.チェーコンシー(世徳堂謝公司)

 

清代に次々とペナン島に移住してきた華人一族。その中に、謝氏という一族がいました。かれらは、現在の中国福建省漳州から移住してきた一族ですが、彼らが建てた「クランハウス」と呼ばれる共同会館のような施設が「公司(コンシー)」と呼ばれます。現在中華圏で使われる「公司」は会社を意味するので、かなり違うものになりますね。

「公司」は、一族が住み、集まり、結束を固める場所。守護神の福候公や祖先たちを祀っていて、彼らにとって精神的な拠り所でもあるようです。現在では、この組織で一族の学業をサポートなども行っているようで、はるか昔に故郷を離れた一族を様々な形で刺させる存在になっているようです。


現在、いくつかの「公司」が歴史施設として有料で一般公開されています。敷地が広いのでどこが入口かなかなかわからなかったのですが、「世徳堂謝公司」という看板をひっそり掲げたオフィス?を見つけ、聞いてみると、そこでチケットを買って中に入れるとのこと。10リンギット(約300円)を払って、中に入れてもらいます。

地味な入口。左側の看板のある事務所で料金を払って中に入る

謝公司で目立つのは、こちらの「實樹」という文字。実はこれ、ジョージタウンの市内でも何回か見かけたのですが、これは「宝の木」という意味で、一族のシンボルとなる言葉なのだとか。ということは、街の中で見かけた「實樹」の看板を掲げた家は、謝一族に関係しているのかもしれませんね。

「實樹」という文字は、謝一族のルーツを示すものだという

敷地内に入るとまず目立つのは、この広い庭。どの路地にもびっしり民家が建ち並んでいるジョージタウンの旧市街で、こんなに広々とした庭があるのに驚きます。

前面の庭も広くて開放感がある

敷地内には、2階建ての立派な屋敷があり、たくさんある部屋の一つでは、謝氏の羅歴を説明する資料コーナーもありました。簡体字なので読み解くのみ少し疲れましたが、それでも日本人なら概要くらいはつかめる感じですね。かなり丁寧に説明されているので、古代から連綿と続く謝氏の歴史がしっかり学べます。

謝氏の起源が説明されている

福候公が祀られているホール。このような祭祀空間は、台湾の邸宅でも見かけることがあり、ちょっと親しみを感じます。

内部の装飾は重厚で美しい

内部の装飾や、残された調度品も素晴らしいのですが、かつてのペナン島を描いた絵や、写真が展示されており、小さな農漁村だったジョージタウンの今の発展した様子を比べるととても興味深いです。写真の方は、台湾で日本統治時代の写真を見るのと似た感じでしょうか。


交易地として栄える前のジョージタウンを描いた絵

往時の賑わいを感じさせる古い写真

そして、古い階段フェチの僕としては、たまらぬ魅力を放つ階段がいくつもありました。この建物は19世紀後半に建てられ、その後部分的な修復を重ねて現在に至るとのこと。ぼろぼろの古さは感じませんが、かなり贅を尽くした建物であることはよくわかります。

古い建物の階段は本当に美しい

華人系の一族は、教育にもかなり力を入れますよね。勉強のための空間が作られていました。

一族の教育にも力を入れていた

ここは、ゆっくり見学すると2時間はかかると思います。でも、せっかく異国で歴史建築に触れるなら、気が済むまで見て回りたいですよね。私は時間の関係で1時間たたないくらいでお暇しましたが、次回は隅々までチェックしてみたいです。

「世徳堂謝公司」
8,Lbh Armenian, George Town, Palau Pinang, MY
開館時間 9:00~17:00(無休)